パソコンに対する憧憬とリスペクト

file-management

この記事は前回からの続きです。前回投稿を読んでいない方はこちらをクリックして下さい。

私達が技術の進歩に憧れを持つのは太古の昔から遺伝子に組み込まれた特徴でしょうか。
コンピューターを目の当たりにしたのが初めてだったこともあり、パソコンの登場に私たちは驚きました。
1995年にビルゲイツ氏が来日して首相官邸で閣僚と名刺交換をしたそうです。
その際に名刺交換をしようとビルゲイツ氏の前に立った閣僚の手足が震えているのが、はた目からも分かったそうです。政治家は人前で話すことに慣れている人達ですが、その彼らでさえ緊張したのは、当時がWindows95を発売した時期でもあり、ビルゲイツ氏が世界一の金持ちでマイクロソフト社が世界を変えという雰囲気に満ち溢れていたからではないでしょうかか。

ワインに興味を示さない人に有名なソムリエを紹介しても緊張しません。
ビルゲイツ氏に緊張するのは、私たちの遺伝子の中に科学技術への憧憬やリスペクトが有るからではないでしょうか。

当時は私たちはパソコンに対して、「新しい時代を象徴する最先端の装置という認識」を持っていました。
そのため、少なからずパソコンに対しても憧憬やリスペクトがあったように思います。
憧憬やリスペクトから「パソコンは正しい」との思いが生まれ、「パソコンを使えるようにならなけれなならない」とみんな思っていました。
「パソコンを使えなければ就職できない」と言われたのもこのころです。

面接で「パソコンが使える」といえば有利だったかもしれません。その人の入社後は、「パソコンのことは君に任せる」となったかもしれません。
このようなリスペクトの中でパソコンは社会に浸透していきました。

しかし問題点は、パソコン知識があるという人の殆どはコンピューターを勉強して業務経験があるというのではなく、家でパソコンを使っていということなのです。

続きはこちらをクリック

最初から読む

面白かったらシェアしてください
目次