なぜ組織のファイル管理が上手くいかないかの考察(ファイル管理のまとめ)

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目次

パソコンの個人管理に問題がある

自宅のパソコンは私専用です。勤務先にも私専用のパソコンがあります。
そしてパソコンの中のファイルは問題なく探すことができますが、職場では他の人の作成したファイルの確認する必要があったりする際に、必要なファイルを直ぐに探せないことがあります。

組織では同僚が作成したファイルを共有できるよう「共有フォルダ」を用いることが一般的ですが、その場合に「何処に何のファイルがあるのか分からない」といったことが多いのです。
自分のパソコンの中のファイルを探すのは容易なのに、「共有フォルダ」になるとファイルの所在が分からなくなるのは何故でしょう。

私たちがパソコンにファイルを保存したり、探したりする際の自分のプロセスを思い浮かべると分かり易いと思います。
ファイルを保存したり探したりする際には、一つは「自分の記憶」ともう一つは「自分なりの整理方法」を頼りにファイルを保存したり探したりしていないでしょうか。
「自分なりの整理方法」はパターン決まっていますし、保存時の「記憶」もあるのでファイルを探し易いのです。

しかし、共有フォルダになると頼りにしている「自分の記憶」と「整理方法」は他の人と共有することが出来ません。そのために自分が保存したファイル以外は探すのが難しくなるのです。
このことから、ファイルをフォルダに同じように整理しているつもりでも、そういう人達の集まりでは、ファイルをお互いに容易に利用することが出来ないのです。

会社などの組織では共有フォルダのファイルが分かりにくいことから、ファイルの保存場所のルールを決めて運用することがあります。
これは上手くいくところと上手くいかないところがありますが、上手くいくところは稀で、殆どのところがパソコン担当者が頻繁に注意をしても上手くいきません。
ただし、出来ないからといってダメということではありません。むしろ普通のことです
何故ならルールを決めても上手くいかない理由があるからです。

会社などの組織では業務を分業化しています。そして一人一人の業務が歯車のようにかみ合って成果を出します。この仕組みでは、かみ砕いた業務は誰もができる易しいものにすることがポイントです。

そんな組織にパソコンが導入されました。パソコンは使用者が全てを管理しなければなりません。いわゆる個人管理です。
この個人管理は組織の仕組みからすると困ったところがあります。
仕事を分業化ではなく、一人一人に任せるようになると、その人が退職したりすると誰もフォローできなくなるからです。パソコンでも同じことが起きます。
取引先から「昨日Aさんに送付して貰ったファイルを至急送って欲しい。」と連絡が入ったとします。しかし、Aさんは欠勤していて連絡が取れません。Aさんのパソコンにパスワードが掛かっている場合には誰もフォローができないのです。

パソコンの個人管理は、パソコン誕生後に発生した習慣ですが、これが組織だった運用をスポイルするのです。
パソコン使用者は、「自身でしっかりファイルを管理するのが仕事」と考えていますので、パソコン担当者の指示に従って良いのか迷うのです。それよりも、これまで通り分かり易い「自分なりの整理方法」でしっかり管理することが重要に思えるのです。
その結果、共有フォルダは法則性のない、個人フォルダの集合体になってしまい、誰も全体像を把握出来ないようになってしまうのです。

会社のパソコンを個人管理している

会社を含めた多くの組織では、パソコンは個人管理が普通です。
しかし本当にそれで良いのでしょうか。
パソコンに入っているデータはパソコン使用者が管理します。そのデータの中には会社のノウハウや個人情報などが入っている場合があります。

個人管理というのは、組織の方針としてパソコン使用者にそれらのデータの管理を任すということですが、当然ですがパソコン使用者の中にはデータの管理に向いている人もいれば向いていない人もいますし、パソコンが苦手な人もいます。
そのために「すみません、しっかり管理していたつもりですが、パソコンが得意でないので重要なデータを消してしまいました」ということも起きるわけです。

以前に、ある会社の社長に頼まれてファイルの整理についてセミナーをしたことがあります。
会議室に入ると、社員が集まっていてセミナーの目的を知っています。
そこの雰囲気は決して良いものではありませんでした。
シーンとしているのですが「ファイルはしっかり管理しているよ!」とか「何故そんなことをしなければいけないのか!」といった皆さんの声が聞こえるようでした。
ここで不思議に思ったのは、集まっている社員のみなさんの質が良かったからです。
テキパキとしていて社長の一言で「分かりました」と、一致協力して業務を行う感じです。
もしも社長が「書類が散らかっているので皆で協力して整理しよう」と言えば、「承知いたしました」と社員一同なったはずが、パソコンにより書類や図面が姿を変えたファイルでは「何故そんなことをしなければならないのか?」となるのです。
この時は戸惑いましたが、しばらくして理由に気づきました。

各々が持つ「パソコンのデータは自分たちで管理するもの」というパソコンの常識が、こういった違いを引き起こしているというものでした。

セミナーの中での話

社長の「ファイル管理を上手く行えるようにしよう」との方針に社員のコンセンサスが得られませんでした。
その原因が「パソコンのデータは自分たちで管理するもの」という個々の思いにあることが分かったので、その考え方の問題点を示して組織の効率化に適した考え方を紹介しました。
その結果社員の皆さんの行動が変わるようになりました。

ここでは、その際に話した要点をご紹介します。

「会社」と辞書を引くと「利益を得るための集合体」と出ます。
そのために皆さんは利益を出すことを目的に、社長をリーダーとして業務を行っていることになります。
今回、社長は「社内のファイルを整理したい」・「ファイル管理をもっと上手に行いたい」と考えました。おそらく「社内に流通するファイルの所在が分からない」といった状態なのだと思います。
ここで皆さんに質問したいのですが、社長の「ファイル管理をもっと上手にしたい」との方向性は無駄なことでしょうか。それとも「ファイルを探す時間が短縮して効率化に結び付く」可能性があるのでしょうか。皆さんは後者だと考えるはずです。
それにも関わらず、皆さんが納得しないというのは可笑しなことです。
というのは、もしもパソコンを導入する以前なら、社長が「書類を整理してもっと管理しよう」というと、皆さんは異論を挟まずに行動したのに違いないと思うからです。
書類もファイルも情報媒体として同じ存在です。それなのに、パソコンに関することになると皆さんは否定するというのは不自然です。

しかし見方を変えると皆さんの逡巡を理解できなくもありません。

「パソコンのファイルは自分たちで管理するもの」といった常識があります。そして皆さんはファイルをしっかり管理しているはずです。ところが今度は皆で協力してファイル管理を行うというものです。「個人管理すべきファイルを、そうして良いのか?」といった戸惑いが皆さんの中にあるのではないでしょうか。

しかし、もしも組織の運用には「パソコンのファイルは自分たちで管理するもの」との考えが間違っているとしたらどうでしょうか。みなさんは勘違いしていることになります。私はパソコンには、「使い続けることで勘違いが発生する仕組みがある」と考えています。

パソコンを個人のものと勘違いしてしまう

パソコンの「使い続けることによる勘違い」について考えてみましょう。
私達は何となく「他の人のパソコンを勝手に操作してはいけない」と考えています。
会社に指示された訳ではありませんが、パソコンを使う上での不文律でしょうか。

例えば以下のようなシーンです。
総務のB子さんが外出中に、取引先から「B子さんが昨日メールしてくれたファイルを至急送付して欲しい」との依頼があったとします。
上司はなんとか対応しようとします。幸いにB子さんのパスワードを知っていたことから、B子さんのパソコンのファイルを探し始めました。
そこへB子さんが用事から戻ってきました。
B子さんは上司が自分のパソコンを操作しているのを知り、「信じられない」といった表情で状況を見つめています。
上司がバツが悪そうに成り行きを説明し始めました。B子さんは平常心を装っていましたが、「上司だからといってもそんなことをしても良いのか」という、なんとも収まりきらない感情を持ったとしても想像に難くありません。

しかし不思議です。「他の人のパソコンを勝手に操作してはいけない」というルールを誰が決めたのでしょう。実は誰からも言われていませんし、誰も決めていません。
ただ、パソコンを使うとそういう風に思い込んでしまうのです。
その思い込みが、パソコンに化かされたバカバカしい勘違いだとしましょう。
すると、このシーンはどのように写るのでしょう。
B子さんは、外出したことで取引先に迷惑を掛けています。上司はそれをフォローしようとしました。
そのため、本来ならB子さんは「フォローありがとうございます」と上司にお礼を言うべきところです。
あるいは、「すみませんでした、本来なら取引先にこの書類を送付したことを報告すべきでした。」と上司に謝罪をすべきところなのです。

皆さんはどちらが正解に思えるでしょうか。
組織では、皆で協力したりフォローしたりして一つのことを成し遂げます。
そのために個人で情報を抱え込まずに、誰でも分かるようにオープンにすることが効率的です。
パソコンも本来なら「個人管理」といって一人一人が情報を抱え込むのではなく、誰のパソコンでも皆が自由に使えるようにした方が効率的なのは言うまでもありません。

鉛筆や消しゴムのように個人に支給されるもので、他の人が触れてはいけないものは有りませんでした。
会社のパソコンは業務を効率化するために会社の経費で購入したものです。
業務を効率化するために用意した道具ですので、使い方もデータも全てこの目的のためにあります。
私達はパソコンの運用を個人管理だったり、人のパソコンを勝手に操作してはいけなかったりすることを「普通のこと」と思っています。
しかしここは会社です。会社のパソコンに人に見られては困るようなデータが入っているとしたらそちらの方が問題です。
実は、一人一人が全てのパソコンをオープンにしても、誰一人として困る理由などないのです。

原因はパソコンの誕生にある

今度はパソコンを使うことで勘違いをする「仕組」について考えてみます。
それには、パソコンの出生を考える必要があります。

パーソナルコンピューターが開発される

パソコンには生みの親がいます。スティーブ・ジョブスとビル・ゲイツです。
この二人はくしくも同学年です。
マルコム・グラッドウェル著の「天才! 成功する人々の法則」という本があります、これは「天才は才能だけでなく運も必要だ」との内容です。
スティーブ・ジョブスとビル・ゲイツの運はともにアメリカ人で、当時数台しかなかったコンピューターに触れることの出来る距離に住んでいたことです。
それとパソコンという革命を起こすために必要な、「若すぎずしかも就職をするほど年を取っていない」という年齢が運でした。

彼らはヒッピー世代だそうです。、若者を中心にして既成社会に対する対抗文化を生み、理性の尊重よりも感性の解放を求め、音楽、LSD、マリファナに走っていたそうです。
彼らに共通していたのは反抗心や叛逆心だったそうです。

しかし、スティーブ・ジョブスやビル・ゲイツといったエリートがヒッピーになることはなく、彼らの叛逆心は当時世界の巨人と言われていたIBMに向いていました。
私の学生時代にはCOBOLといったコンピューターの開発言語の講義が有りました。
「当校にコンピューターはあるのか」と質問すると、教授は当たり前のことを聞くなというように「あるわけないだろう、月のリース料が数億円もして、空調施設のあるフロアに設置しなければならない。コンピューターがあるのは政府の研究機関か大企業くらいだ」というのでした。

当時のIBMの世界シェアは67%ですので、いかに巨人だったかが想像が付くと思います。
スティーブ・ジョブスやビル・ゲイツ求めたのはIBMとはまるきり反対の方向性でした。
一部の専門家しか使えないコンピューターを誰でも使えるコンピューターにする。個人で購入できる価格にする。というものです。
そして彼らは夢を実現させました。パーソナルコンピューターを生み出したのです。

スティーブ・ジョブスやビル・ゲイツがパソコンを生み出しましたが、それまでのコンピューターとの違いはなんでしょう。
従来のコンピューターは価格的に個人で購入できる金額ではなかったことから、全てが組織向けでした。
構造的にはCPUや保存装置、ディスプレイやキーボードといったコンピューターに必要なもの全てを備えるパソコンと違い、それまでのコンピューターは使用者が操作するのはキーボードとティスプレイだけです。
従来のコンピューターはデータベースとCPUからなる本体に複数の端末が接続している構造をしていたのです。

現在のATMやコンビニ店頭端末も同じ構造をしています。この仕組みの利点は複数の人が同じ情報の処理を行う場合に優れていることです。
例えば座席指定のシステムを考えてみましょう、ユーザーは全国のどこのコンビニ端末からでも予約することができます。その際にアクセスが集中しているようでも、一つのデータ(ここではデータベース)に書き込んでいるのでダブルブッキングが起こらないのです。

IBMに代表される従来のコンピューターが組織での運用を目的にしていたのに対して、パソコンは個人でコンピューターを使うために開発されました。
余談ですが、パソコンの登場は革命という人がいます。
それまでコンピューターに縁のなかった人たちが、パソコンを普通に利用する時代が訪れました。

組織のコンピューターから個人のコンピューターへ

パソコンが登場すると、IBMに代表される従来のコンピューターを導入していた会社だけでなく、これまでコンピューターに縁のなかった組織までもが、雪崩を打ってパソコンを導入するようになりました。この現象はコンピューターのダウンサイジング化と言われました。
数億円もするコンピューターはムリでも、数十万円のパソコンなら導入が出来たわけです。
個人向けのコンピューターを作ることが夢だったスティーブ・ジョブスやビル・ゲイツにしても、現在のようにパソコンが世界中の組織で使われるようになるとは想定していなかったはずです。

パソコンは安価なだけでなく、大型コンピューターでは真似の出来ないとても魅力的な機能を備えていました。
それは、ソフトウェアのインストールが簡単で、インストールすると直ぐにソフトウェアの目的とする装置になることでした。
家計簿のソフトをインストールすればパソコンは家計簿装置になり、ワープロにも図面作成装置にもなりました。
そしてパソコン用の開発言語を充実させたことで、魅力的なソフトウェアが世界中で次々に開発されるようになり、そのソフトウェアを使いたいばかりにパソコンを購入するという好循環が生まれました。

業種向けのソフトウェアも数多く開発され、パソコンは業務の効率化に欠かせない装置になりました。従来のコンピューターとは目的も、構造もまるきり違うパソコンが組織で用いられるようになったのです。
この「個人向けのコンピューターを組織で流用する」ことが、現在起きているパソコンの問題点の原因になっています。

パソコン登場により変わった人と道具の関係

組織でのファイル管理を上手く進めるには、パソコンを使い続けることで勘違いをする仕組みを突き止める必要があります。パソコンという道具を理解する前に、有史以来の私たちと道具との関係について考察したいと思います。

石器時代での道具との関係

石器時代の頃の話です。
現在の人間の種はホモサピエンスですが、当時はネアンデルタール人という種もいたそうです。ところが彼らは滅亡し、ホモサピエンスだけが生き残ったそうです。
ネアンデルタール人は体が大きく腕力があり、獲物を捕獲するのに適した体つきをしていました。対して、ホモサピエンスは小さく非力だったそうです。
ではどうしてホモサピエンスだけが生き残ったのかといいますと、道具を上手く使えたことが理由だそうです。
氷河期になり恐竜が死に絶えるほどの地球環境の変化の起きた際に、生き残ったのはネズミのような小動物だったそうです。これらは動きが素早かったので捕まえるのが難しかったといいます。
ネアンデルタール人は大型の獲物が減っていく中で、小動物を上手く捕まえることが出来ませんでした。ところがホモサピエンスは道具をうまく使ってこれらを捕食できたそうです。この違いが明暗を分けたといいます。

私たちの特色は道具を上手く使える種だったということですが、今も私たちの生活環境の全てが道具の恩恵を受けています。
道具のことなどあまり意識しませんが、もしも道具がなかったなら…と考ええると私たちと道具との関係が浮き彫りになります。
私達は動物の中では最上位に位置しますが、着るものも道具ももたない人間は環境や他動物に対してとても弱い存在です。

例えば、船が難破して無人島に人間とライオンが漂着したとします。すると、人間は上位どころかライオンの餌にしかなりません。
また人間は寒さに弱いので着るものがなければ直ぐに死んでしまいます。
道具というと冷蔵庫や車と行った便利なものを思い浮かべますが、道具の一切ない世界では、私たちは生き抜くことも出来ないのです。

産業革命から現代までの道具との関係

人類は道具を常に進化させてきましたが、特に産業革命以降が顕著でした。
例えば、産業革命以前の江戸時代を考えてみましょう。
江戸時代に大工の息子として生まれたとします。技術進歩の速度は産業革命以後に比べて緩やかです。そのため道具の進歩も殆どなかった筈ですから、年配者の使っているノコギリやカンナと若者の使っているものは同じだったと考えられます。

バイオリンや日本刀にしても数百年も前のものが名作といわれていますので、必ずしも新しい世代が古い世代に勝っているということもなさそうです。人間としての能力は世代間で差はないのかもしれません。
道具も能力も同じとなると、江戸時代の私は経験で勝る年配者に技量面で手も足も出なかったはずです。
それが産業革命以降は変わります。
技術進歩の速度が速まったことから、若い人ほど新しく進化した道具を使うようになり能力的に勝るようになりました。
移動手段で考えると、業者と馬車だったところが運転手と自動車になったり、大工ではノコギリやカンナが電動式のものに変わったり、さらには3Dプリンターに変わったりするかもしれません。
どんな道具が使えるのかによってその人の価値が決まるのです。
「若い人にはついていけない」という言葉は、新しい進化した道具を年配者は使えないということです。

馬車の時代に自動車を初めて見た人は自動車に憧れ、その運転手に尊敬の念を抱いたと思います。
私達は技術革新に憧れや尊敬の念を抱きますが、パソコンもまさにそうでした。
私たちはパソコンに憧れパソコンを操作している人を尊敬したのです。

私達が技術の進歩に憧れを持つのは太古の昔から遺伝子に組み込まれた特徴でしょうか。
コンピューターを目の当たりにしたのが初めてだったこともあり、パソコンの登場に私たちは驚きました。
1995年にビルゲイツ氏が来日して首相官邸で閣僚と名刺交換をしたそうです。
その際に名刺交換をしようとビルゲイツ氏の前に立った閣僚の手足が震えているのが、はた目からも分かったそうです。政治家は人前で話すことに慣れている人達ですが、その彼らでさえ緊張したのは、当時がWindows95を発売した時期でもあり、ビルゲイツ氏が世界一の金持ちでマイクロソフト社が世界を変えという雰囲気に満ち溢れていたからではないでしょうかか。

ワインに興味を示さない人に有名なソムリエを紹介しても緊張しません。
ビルゲイツ氏に緊張するのは、私たちの遺伝子の中に科学技術への憧憬やリスペクトが有るからではないでしょうか。

当時は私たちはパソコンに対して、「新しい時代を象徴する最先端の装置という認識」を持っていました。
そのため、少なからずパソコンに対しても憧憬やリスペクトがあったように思います。
憧憬やリスペクトから「パソコンは正しい」との思いが生まれ、「パソコンを使えるようにならなけれなならない」とみんな思っていました。
「パソコンを使えなければ就職できない」と言われたのもこのころです。

面接で「パソコンが使える」といえば有利だったかもしれません。その人の入社後は、「パソコンのことは君に任せる」となったかもしれません。
このようなリスペクトの中でパソコンは社会に浸透していきました。

しかし問題点は、パソコン知識があるという人の殆どはコンピューターを勉強して業務経験があるというのではなく、家でパソコンを使っていということなのです。

本来パソコンは組織での使用を考えてない

パソコンはアメリカ生まれです。
パソコンはウインドウズに移行した際に起動時にパスワードを要求するようになりました。
当初は意味不明でしたが、次第に分かるようになりました。
パソコンは家電製品の中では高額なので、一台のパソコンを家族でシェアするための機能でした。
起動時にログイン名が異なると違うパソコンのような振る舞いをします。
一台のパソコンが家族それぞれのパソコンのようになるのです。
これは、家族であっても娘さんや息子さんのプライバシーを侵害させないという、アメリカらしい、アメリカの文化や習慣を反映する機能でした。

当時パソコンが使えた人は自宅でパソコンを使っていた人です。
パソコンを使う過程で、その機能から「個人管理」や「プライバシーを侵害しない」というルールを肌から浸透するように吸収していったはずです。

パソコンが登場してしばらくするとダウンサイジングの流れから、パソコンが組織に流用されるようになりました。
この時期にパソコンが使えた人はリーダー的な存在となり後進を指導したはずです。
また教わらなくてもパソコンを使うことで、自然に「個人管理」や「プライバシーを侵害しない」というルールを習得していったはずです。
このような経緯から、プライベートパソコンの使い方がそのまま組織の運用に用いられたと思われます。

パソコンの「使い続けると勘違いする」というのは「プライベートパソコンの使い方を習得する」ということです。
「ファイルを整理しよう」と上司がいっても上手くいかないのは、パソコンの「個人管理」のルールと異なるので戸惑ってしまうからです。
「個人管理」や「プライバシーを侵害しない」というパソコンの運用ルールは組織の理論に反しています。そのため組織の弊害になります。
組織の効率化を求めるなら、「慣れ親しんだパソコンの使い方」を見直す必要があるのです。

組織は分業をして効率化している

「個人管理」や「プライバシーを侵害しない」というパソコンの運用ルールが組織の効率化の弊害になるとの話をしました。
しかし「何故、弊害になるのか」と疑問を持つ方もいらっしゃるので、「組織とは何か」について考えます。

組織は業務を分業する仕組みです。分業の目的は効率化です。
皆さんの職場でもそうだと思いますが、同じ業務をするなら慣れている人が行った方が効率的です。この一人一人が慣れた業務を行うようにする仕組みが組織です。
慣れというのは習熟するということですが、芸術家もスポーツ選手も職人も、大よその仕事はこの習熟という能力をベースにしています。

ホームセンターからペンキを購入することも、それで車に塗ることも容易です。しかし、この人にお金を払って塗って貰おうと考える人はいません。
誰でもピアノを鳴らすことはできますが、この人のコンサートをお金を出して聴きに行こうとする人はいません。

マルコム・グラッドウェルは著書「天才! 成功する人々の法則」の中で、1つのことを1万時間真剣に訓練したら上達するといっています。
1万時間というのは、休日なく9時間訓練して3年を要します。
これは「石の上にも3年」という言葉に符合しますが、新人がプロとしてお金が取れるようになるまでの年月がこのくらいです。職人によっては更に長い年月が必要な場合もあります。
習熟にはこのように時間が掛かりますが、分業すると業務が細分化するので習熟するための時間を確保し易いのです。

逆に分業しない場合では、支払い業務や給与の計算から、税務処理、製品開発、営業、納品、メンテナスから電話対応まで1人で行わなければなりません。この場合は覚えることが多いので1つ1つの習熟に要する時間を確保できません。大体のことは出来ても、エキスパートと呼ばれるほどの習熟が進まないのです。

組織の規模が大きければ大きいほど業務が細分化します。そのため大手企業では「世界でこれの研究しているのは私達だけ」といったようなエキスパートが普通に存在します。
中小企業には出来ないことを大手企業が出来るのはこのようなエキスパートを育成できるからです。
組織の強みは、習熟した人員が業務に当たれるので効率化が図れるところでしょう。

分業化にはルールと情報伝達が必要

組織が業務を効率化できるのは習熟した人員が業務に当たるからでした。
ただし、組織は分業している故の欠点もあります。そのため機能させるにはルールが必要になります。
組織では一部が機能しないだけで全体が機能しなくなりますし、一部が決められたこと以外のことを行うと機能不全に陥ってしまいます。
人体も組織ですが、1つの臓器が機能しないだけで死んでしまいますし、手足が好き勝手に動作すると歩くことさえできないのと同じです。
組織では、役割通り機能しないことは許されませんし、命令された以外のことをしてはいけないのです。
会社等の組織も同じです。学生に「会社とは不条理なものだ、頑張れ」とエールを送る人がいます。
会社の方針が間違っていて、どんなに自身の判断が正しいと考えても、組織では会社の方針通りに行動しなければなりません。手足が勝手に動くようなことは許されないのです。これが会社が不条理に思える理由です。

もう一つ組織に必要なものの例を挙げます。
戦国時代の戦でも組織は用いられていました。ある大将が戦場で自軍の3倍の敵に勝つための戦略を考えました。
部隊を2つに分け、1隊を別動隊として敵の裏山から陣地を奇襲させます。敵は裏山から襲ってくるとは思わないので混乱するはずです。その混乱に乗じてもう1隊である本体が正面から突入するというものです。
攻撃する日を明日の卯の刻と決めました。
早速、別動隊が裏山に向かいます。幸い雨で薄暗いことから部隊の移動に適しています。
別動隊が進むと、裏山の手前の大きな川が増水していることが分かりました。とても無事に渡れるような状況ではありません。
別動隊を率いた隊長は考えます。
「このまま川を渡ると部隊の2/3が溺死してしまうだろう、これではとても渡れない、引き返そう。」
「いやしかし、裏山から我々が強襲すると思って突入した本体は、別動隊に兵を割いて数も少ないこともあり、我々が行かずに突入したら全滅してしまうだろう。」
「兵力が1/3になっても行くべきなのではないか」

さて、皆さんならどう考えるでしょう。
どちらも組織の仕組みからすると不正解です。隊長が判断すること自体が駄目です。手足が勝手に判断するようなものだからです。
正解は、現在の状況を大将に報告することです。そうすれば大将が判断します。そのために狼煙等の信号があります。川を渡ったり裏山に着いたり、突入する準備が整ったりした際の合図を決めておき情報を伝達すべきなのです。
この例から分かる通り、組織は情報の伝達が出来なければ機能しません。
身体に例えると、指が「痛い」という情報を脳に送ったり、「動け」という情報を脳から指に送ったりする際に、神経が切れていて情報が伝わらなければ機能しないのです。

組織では「与えられた役割を行う」「与えられた役割以外の判断をしない」との運用ルールの他に「情報を伝達する仕組み」が必要になるのです。

個人管理は組織での情報伝達を妨げる

組織を効率的に機能させるには「与えられた役割を行う」「与えられた役割以外の判断をしない」との運用ルールと「情報を伝達する仕組み」が必要になることが分かりました。
それでは「個人管理」や「プライバシーを侵害しない」という運用ルールが「効率化の弊害になる」とはどういうことでしょう。

パソコンを使わない時代では、上司が報告書の作成を部下に依頼し部下は作成した報告書を上司に提出します。この報告書はコストを掛けて作成した組織の資産ですので、書庫等に整理して「必要な人が利用できる仕組みを作る」ことが一連の流れになっています。

パソコンを用いるようになると、報告書をパソコンで作成するようになりました。作成した報告書はこれまで通り上司に提出します。
しかしワードやエクセル等を用いて書類を作成した際の書類と作成ファイルではどちらが重要でしょうか。
勿論ファイルです。ファイルがあれば書類は幾らでも印刷できますが、なければ再作成しなければなりません。

現在の組織の問題点は、ファイルを再利用する仕組みが存在しないことと、ファイルが各自のパソコンの中に残り年々増え続けることです。そのファイルに重要な情報が含まれていることは云うまでもありません。

個人管理とは「個人の判断に委ねるので管理をして欲しい」という権限譲渡です。
「パソコンの個人管理」では、使用者はパソコンに係わる全権を持つので、誰に相談する必要もなくファイルの削除が可能になります。
ファイルは組織の資産ですので本来なら一カ所に集めて組織主導で管理すべきところを、各自のパソコンに分散しているだけでなく、その管理を個人任せにしているところが問題なのです。

また「プライバシーを侵害しない」という運用ルールは、組織活動を機能不全にさせてしまう程の害があります。
身体に例えると、情報を保存する部位は本来脳だけのはずですが、ここでは体中に点在していることになります。
そして、これらの部位ではプライバシーの侵害との名目で外部からのアクセスを拒否する権利があり、そうなると組織活動が起動不全に陥るのです。

組織では一部が機能しないだけで全体が機能しなくなることから、「プライバシーの侵害」といった運用ルールは改める必要があります。

ファイル管理ソフトのご紹介

ある市役所でパソコン導入による効率化の調査をしたところ「ファイルを探すのに時間を取られるようになり効率化は認められない。」との結論に達したそうです。
共有フォルダの「何処に何のファイルがあるのか分からない」といったように、組織のファイル管理は「出来そうで出来ない」といった側面がありますが、この問題を容易に解決出来る弊社が開発したフリーソフトを紹介をしていきたいと考えています。

弊社フリーソフトについての詳細はこちらでご確認下さい。

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